成長したければ、コミュニティに飛び込め【JKA誕生までのストーリー/前編】

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Japan Kicking Academyの櫻井です。

今回はJapan Kicking Academyが
どういう経緯で設立されたのか、
自分自身のNFL挑戦から現在に至るまでの話、

そしてその過程で学んだ

「コミュニティに飛び込む大切さ」


をお伝えしたいと思います。

長文になりますので、
手っ取り早くポイントが知りたい方は


後編の
「コミュニティに飛び込むことで、
「真の知識」を得ることが出来た。 」
まで飛んでください。

2012年から、NFLに挑戦。

丸田と私は2012~2015年まで
NFLや北米のプロリーグへの
挑戦をしていました
(合わせた訳ではなく、偶然時期が重なりました)

全てのきっかけとなったのは、
2011年冬に行われたNFL Japan Combine。
興味本位で参加したのですが
合格してしまいました。

続いて
現地の一次選考会である
NFL Regional Combineも通過し、
NFL Super Regional Combineに招待されました。

2012年の4月に
Detroit Lionsのホームスタジアムである
Ford Fieldで行われたコンバイン。

当時のNFL Japanの方や

TV局も同行してくれましたが、
私は能力的にも精神的にも全然ダメで、
結果は全く良い結果を
残すことはできませんでした。

左にいるのは現Dallas CowboysのGreg Zuerlein選手。
右はGiorgio Tavecchio選手。

ただ、そこで1つ気づいたことがありました。

「自分とアメリカ人選手の蹴り方が全然違う」

ということです。

そして

自分も本場の技術を学ぶことが出来れば、
現在の差を埋められるのではないか、

と感じました。
ここが本格的にNFLに
挑戦することを決意したきっかけです。

まずは、その時の参加選手たちに
Facebookで友達になってもらいました。

帰国してからは彼らに
練習方法などを
教えてもらうところからスタート。


(この時いちばん丁寧に質問に答えてくれたのは、
後にOakland RaidersやAtlanta Falconsで
活躍することになるGiorgio Tavecchio選手でした)。

そして2012年夏には当時勤めていた会社を辞め、
渡米に向けた準備をスタートしました。

Tampaでの日々。

渡米して最初に住むことになったのは
Florida州のTampaでした。

渡米数日前まで、
家も決まっていない様な状態でしたが、
本当にいろいろな方に助けて頂き、
住む場所もトレーニングの環境も
すぐに整えることができました。

Tampaでは
・室内フットボールのプロリーグ
(Arena Football League)
・独立リーグのトライアウト、
・NFLスカウトも参加するコンバイン
に向けて準備を始めました。

Michael Hustedコーチとの出会い。初めて本格的なパーソナルレッスンを受ける。

渡米して1か月ほど経った頃、
今度は全米でも有数のコーチで、
今は皆さんご存知の
Michael Hustedコーチのいる
California州San Diegoへ向かいました。

きっかけは当時日本で
お世話になっていたトレーナーさんが、
元NFLのタンパベイ・バッカニアーズの
ヘッドトレーナーだった
Mark Asanovich氏の知り合いだったこと。

その当時の教え子に有名なキッカーコーチが
いるということでご紹介頂きました。
それがMichaelコーチです。

最初はMichaelコーチが
何者かもよく分かっておらず、
とりあえずレッスンを
受けにいってみた感じでした。

しかし、レッスンを受けて、
自分の中で確信が持てたことがありました。

それは「キックは技術」ということです。

動画等も上手く活用し、
自分のキックとNFL選手のキックは何が違うのか、
コーチからの丁寧な指導。

「これを身に付ければ、
 NFL選手に追い付けるかもしれない」

と、コーチとの出会いをきっかけに
強く思うことが出来ました。

レッスン時の様子。

この出会いが無ければ、
Japan Kicking Academyも無かったかもしれません。

ただ2012年の段階では、
Michaelコーチのレッスンは
2日間単発で受けただけでした。

その後はTampaに戻り、
前述したトライアウトへの挑戦をしていました。

独立リーグで契約。しかし、ビザの関係で試合には出場できず。

様々な形態があったのですが、
合計10個近くのトライアウトに参加。

その中で、独立リーグの
Lakeland Raidersというチームの
トライアウトに合格することが出来ました。

自分以外はほぼ黒人選手。
「あいつは何者なんだ」
と思われていたと思います。

こういう環境の中で、
「別に人気者になる訳ではないけど、
自然に仲間に入り込む」という技術を学びました(笑)

アリーナフットボールは
ゴールポストの幅がアメフトの半分です。

FGの精度がより求められていましたが、
練習でもある程度結果を残すことが出来ました。

また、練習の他にも、
ファンイベントへの参加、
小学校への出張授業など、
“プロスポーツ選手”っぽい活動もさせてもらいました。

ホームアリーナで開催されたファンイベントの様子。
ミニキャンプの練習風景。

ただ、曖昧になっていたのは“ビザ”に関する部分。
シーズン開幕前にリーグへ提出する書類で、
ビザを持っていない自分は
試合への出場資格が無いことが判明。


そして結局練習には参加できても、
試合に出ることは出来ませんでした。

「どんなリーグでもいいから、
アメリカでプロの試合に出場したい」
と思っていたので当時は相当悔しかったです。

しかし、
この時の経験は自分の人生にとっては、
かけがえのないものになりました。
Lakeland Raidersには感謝です。

また別の時期には、
当時のAFLの強豪チームである
Tampa Bay Stormというプロチームにも
2日間練習参加をさせてもらいました。

それもプロフットボールという
世界を垣間見る良い機会になりました。

Tampaではアメフトだけでなく、
・他のスポーツで活躍する
 日本人アスリートとの出会い、
・アメリカ軍の病院でのボランティア
・移民の為の英語教室に無理やり参加させてもらう

など、貴重な経験をさせてもらいました。

しかし「キックを学ぶ」という点では、
Tampaという土地に住む意味はあまり無く、

拠点をMichaelコーチの住む
San Diegoへ移すことを決意します。

正確にいうと当時アメリカで活躍をしていた
日本人のプロサッカー選手に
「お前はサンディエゴに行ったほうがいい」
と言われたことが大きく影響しました。

(前編終わり)

後編はこちら。